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「アメリカンコミックス翻訳の舞台裏」感想レポート

11月3日に小学館神保町アカデミーで開催された「アメリカン・コミックス翻訳の舞台裏」講座に参加してきたのですが、とても充実した内容だったので、これはぜひ皆さんにも知ってほしいと思い感想レポートを書きました。
この講座がTwitterに告知されたとき、講師がアメコミ翻訳家の中沢俊介さんとあって絶対行きたい!とすぐに申込。同じような人が多かったのかすぐに満席となり、日程が追加されるなど人気講座だったようです。
当日は20人くらいの方が参加されていて、うち女性が(私含め)10人いたので女性が多いなぁと思いました。知っている方だと、キャプYさん、Yuri2300さん、JBさんがいらしていました。(Yuriさんが参加されるとTwitterで知ったので、一番新しい同人誌を買って当日サインしてもらった♪)
講座は90分間で三部形式となっていて講師紹介から始まり、最初に翻訳アメコミの歴史、次に中沢さんが影響を受けたアメコミ作品、最後にアメコミを翻訳する技術についてお話されていました。
頂いたレジュメに中沢さんが翻訳された作品リストが載っていたのですが、すごい量でびっくり!数えてみたら110冊(!!)(※2020年11月現在)ありましたが、私が読んだことがあるのはほんの数冊です。


第一部の翻訳アメコミの歴史では、中沢さんが「リーフ(※アメコミ一話分を冊子のような形で出版)」、それが一冊にまとまった「TPB(※トレード・ペーパー・バッグの略。原書と呼ばれる単行本)」、そちらが翻訳された「日本語版アメコミ(※TPBを底本として翻訳編集し出版)」など数冊ご用意され、そちらを掲示しながらお話されていました。
年代ごとに転機となった作品を挙げられていたので、講義メモを抜粋して紹介します。(メモをそのまま書いているため、作品名など誤りがあるかもしれません。お気づきの点があれば教えて下さい)
・1959年:『スーパーマン』の特集雑誌(少年画報社)→表と裏が逆になっていて、オリジナル作品も掲載されるなど日本色が強い(ローカライズ)
※背景として、56年に日本で『スーパーマン』のTV放送があり、視聴率が良かったため特集雑誌が出版された。
・1978年:雑誌『スーパーマン』創刊号
※1979年の『スーパーマン』の映画公開に合わせて出版された。
・1978年〜79年:『スパイダーマン』、『ハルク』など光文社から24冊くらい邦訳本が出版される。
・1980年:雑誌『ポップコーン』
※78年に日本版の『スパイダーマン』が東映で放送され、マーベルの翻訳や映画放送が盛んになる。
・1994年:『X-MEN』刊行
※同作品のTV放送や格闘ゲームのヒットがきっかけ。
・1996年:『マーベル』、『スポーン』
※トイ(フィギュア)のヒットがきっかけ。アメトイブームの火付け役に。
・2000年:『ブリスター』→アメトイ収集をテーマにした映画
※この頃には、コミックの刊行は落ち着いていた。
・2003年:『X-MEN』(新潮社版)
※初版には映画『X-MEN2』の宣伝帯が付いているが、『X-MEN1』が放映された頃は盛り上がっていなかった?同年刊行された『スパイダーマン』も『スパイダーマン2』の映画宣伝帯。
・2005年:MCU第一作『アイアンマン』→公開時はコミックが出なかった。
※当時はヒーローコミック以外のアメコミに注目が集まっていた。
・2009年:『ウォッチメン
※以前にも98年に刊行されていたが、映画公開に合わせて再販される。作家性の強いアメコミ作品の決定打となり、絶版もののアメコミの再販につながる。また、この頃バンドデシネなど海外漫画への注目度が高くなる。
・2010年:『キックアス』
・2011年:『ウォーキングテッド』
アメリカ(本国)と同時期(同年?)に刊行されるようになる→画期的!
・2013年:『デッドプール
それ以外に翻訳アメコミの歴史を知る上で押さえておきたい作品として…
・1949年:『スーパーマン』最古雑誌
・1966年:TVドラマ『バットマン』放送→日本の漫画家に描いてもらったバットマン作品を集めた作品が刊行。
・1970年:池上遼一版『スパイダーマン』→人気を察知した出版社が刊行。
・1989年:ティム・バートン版『バットマン』→残念ながら、翻訳アメコミの流れを生み出せなかった。
・1999年:『ヘルボーイ』→99年、2010年にコミック刊行。04年に映画公開。
・同年『シンシティ』→94年、05年、14年にコミック刊行。05年に映画公開。
最後に、「ヒーローもの以外に様々なコミックもあるということも自戒も込めて忘れないようにしたい」とお話されていました。


第二部は中沢さんがこれまでの人生の中で影響を受けたアメコミ作品をご紹介。
最初にアメコミの世界に興味を持ったのは小学校低学年の頃、『ヒーマン』という作品のフィギュアを見てアメコミ風の絵柄に興味を引かれるも、子どもだったため探すことができなかったそう。ちなみにこの作品はアメリカで人気のアニメで80年代に日本でも紹介されたそうです。その後『スパイダーマン』がTV放送され、親しみを感じるようになったとのこと。
最初に親御さんに買ってもらったアメコミとして『パワーマン』を挙げられていました。当時、リーフで600円くらいと高価だったため選びに選んだそう。
アメコミ読書に夢中になっていた高校生のときに『ウォッチメン』や『ダークナイト』の原書を買ってみるも『ウォッチメン』は読み解くのが難しく、自分で翻訳しようと試みたが挫折してしまったそうです。
また、当時は洋楽をよく聴いていて、CDジャケットにアメコミアーティストによるイラストが描かれていたため、アメコミがとても身近なものになっていたそう。
ウォッチメン』で翻訳に挫折してしまった中沢さんですが、大学生のときに読んだ『ゴーストワールド』(97年刊行)を自分でも翻訳してみるなど、翻訳にチャンレジし続けていました。(調べてみたら、2011年に刊行された日本語版はちがう方が翻訳されていますね)
卒業後、出版社に就職しマンガ編集者となり、いくつかの出版社を転々としていたところ、マンガのコンベンションで自分がアメコミ翻訳をしていることを出版社の方に伝えると「やってみる?」と誘われ、それがアメコミ翻訳家デビューにつながったそうです。
商業出版された初翻訳作品は、オルナタティブコミック『HATE』。
小学館集英社プロダクションに初めて持ち込んだ作品は『クラークス』というコミックスで、かなりマイナーなのか?表紙がスライドに映し出されたら、キャプYさんが笑っていました。こちらは翻訳が出ることなく空振りしてしまったそうですが、翻訳家となった五年後くらいに声をかけてもらえ、小プロで翻訳出版するだけでなく、編集者としても三年ほど働いていたそう。
その後、翻訳家メインで活動するようになり今に致るとのことです。


第三部ではお待ちかねのアメコミ翻訳について。
最初に翻訳作業の過程をご紹介。まず、日本語に訳したセリフを紙に出力し確認(中沢さんは印刷して確認しないときちんとチェックできないそう)→「ゲラ(※試し刷り)」を2〜3回読んで不自然でないかを確認→出版という流れだそう。
翻訳の際に必須道具として「写植の級数表(※写植の文字の大きさを計る道具)」と「記者ハンドブック」の二つを挙げ、見せながら紹介されていました。級数表→吹き出しに当てて、想定している文字数が入るか確認する。「記者ハンドブック」→類似語を調べたり、差別語をチェックしたり、漢字orひらがなの選択などに使用されているそう。
また、アメコミを翻訳する際に気を付けているポイントとして
・エンターテイメントとして(読者が)楽しめるかどうか
・絵(アート)との相互作用を忘れないようにする
・日本語の読みやすさ→特に、初見の方や初心者の方でも楽しめるようにということを常に意識されているそうです。
ここで、実際に翻訳を担当した作品をスライドに映しながら、翻訳の仕方を詳しく紹介されました。
・原書のセリフ→中沢さんの翻訳第一弾「おいおい、ゾンビみたいにうなってゾンビみたいに足を引きずって歩いているのに…」→翻訳第二段「あの歩き方やうなり声、ゾンビにしか思えんぞ…」
・「DONT」「GET」「UP」→普通に訳すと「起き上がらないで」だが、コマの一つ一つにセリフが分かれていたため→「もう」「戦うのは」「やめて」と翻訳。
・「HEAR WHAT?」→「なんの音だ?」※ドンドンという擬音がコマの中にあるが、擬音は翻訳されないため記号として認識してしまうことが多いため、音が鳴っているというニュアンスを伝える必要があった。
・「I GVESS WERE BIRD HUNTING」→「バーズ・オブ・プレイ 狩りよ」※歯切れの良い形でアレンジした。
(この紹介されたセリフ、私は全くわからなかったのですが、何の作品のセリフだかわかりますか?)
アメコミはセリフの文字量が多いため、文章を翻訳するように翻訳するとテンポが悪くなり、文字も小さくなってしまい印刷した際に文字がつぶれて読みづらくなってしまうそう。(ちなみに、アメコミの文字が大文字なのは、文字が小さくなっても読みやすいため)
吹き出しの大きさは編集側で調節も可能ですが、アーティストの絵を尊重し、なるべくそのままにしたいということから、情報を選択し選んだ情報で物語がつながるように心掛けているとのこと。基準としては、原書の情報量の7〜8割反映できれば良いそう。イメージとしては、文章の翻訳>アメコミの翻訳>映画の字幕という感じでしょうか。
また、アメコミ翻訳ならではの問題として、「固有名詞」や「擬音」、「カタカナ」が多く多用すると日本語として読みづらいため、日本語にできるところは日本語にしているそう。(例えば「スピーディーに」という形容詞の場合、同名のキャラクターがいたりするので「手っ取り早く」と訳すなど)
その他に気を付けていることとして、わからない単語や熟語をそのまま訳すとカタくなるので平易な表現にしたり、キャラクターのセリフの語尾が毎回同じにならないようにしたり、役割語としてそれぞれのキャラクターのちがいを際立たせるように各キャラの口調を決めているそうです。
また、ネイティブの人には伝わるけれど、日本の人には伝わらないようなニュアンスは、「クリプトン」→「惑星クリプトン」というように追記してフォローしているそうです。
そういった読者にとって読みやすい翻訳にするためにも、「日本語の語彙を増やすことが大事」とおっしゃっていました。文字数の関係で表現は切り詰めたものとなるため、気をつけないと手癖の強い表現になることもあるのだそう。勉強のために、様々なマンガ雑誌を読んで日本の漫画表現を学んだり、映画の字幕の研究もされているそうです。

最後に、「アメコミ翻訳の歴史は50年くらいで、いろいろな方法論があるし、こういったケースもあると思って頂ければ…」とお話され、講義は終了。質疑応答と続きます。
最初の質問は「いわゆるスラングや流行歌などを翻訳する際に気を付けていることは?」←質問はメモを取っていなかったのでうろ覚えなのですが、こんな感じのニュアンスだったかと思います。
中沢さんのお答えは「歌詞は著作権もあるので気を付けるようにしています」というようなことをお話されていたかと思います。
次の質問は「シリーズものの翻訳をする際、キャラクターの話し方など他の翻訳者の翻訳を参考にするか?」←これは私が質問しました。
中沢さんは「シリーズものに途中から参加するときは、他の翻訳作品を読みキャラの話し方はそちらに合わせます」とおっしゃっていました。
もっと質問がでるかな?と思っていたのに、他に質問される方はいなかったのでこれでお開きに。
講演後はキャプYさんとYuriさんとおしゃべりして、@ワンダーさんへ行き、そちらでJBさんとも合流してお買い物をしたりして楽しかったです。キャプYさんが翻訳アメコミ棚の前でめっちゃ語っていました。(あぁ、ここにアメージング太郎さんがいればさぞかし楽しかっただろうに…)
Yuriさんも元気そうだったし、キャプYさんの今後のプランなどもお聞きすることができて、行ってよかったなぁと思いました。

<感想>
中身の濃い充実した講座でした。もっと質問時間をたくさん取って90分ではなく、二時間にしても良かったかも。(もっと質問したかったので)
やはり、最後のアメコミ翻訳のお話がとても勉強になりました。
一月にキャプYさんに登壇して頂いた「アメコミ翻訳トーク」の際、「上手いと思う翻訳家は?」という質問に「中沢俊介さん」と挙げられていて、『バットガール』など翻訳された作品を読んでみたのですが、確かにすらすら読めました。登場人物が大学生の女の子たちなのですが、「ってか〇〇じゃん?」みたいな現代の私達みたいな喋り方なのに、ちゃんとアメリカのティーンエイジャーの感じが出ていることがすごいなぁと思いました。講座をお聴きして、すらすら読めて、キャラクターらしさを表現するためにいろいろな工夫をされているのだなぁと感じました。
キャプYさんもおっしゃっていたけれど、中沢さんの場合は編集者としてのご経験が翻訳のお仕事に生かされているのではと感じました。吹き出しの中にセリフを収める技術もそうだし、校正経験や少女マンガなどいろいろな編集現場にいたことで豊かな言語表現の蓄積があるのではと思いました。
参加した方の感想を読んでいたら、中沢さんからサインをもらったという方がいて、「私も著書を持っていけばよかった」と思いました。あと、翻訳された作品のページを見せながら説明されていたので、作品を知っていればもっと面白かったのだろうなぁ…。
アメコミ翻訳をテーマにした講座はあまりないと思うので(翻訳者を目指している人向けの講座はありましたが)こういったアメコミファンやアメコミ(&海外漫画)の翻訳に興味がある人向けの講座がもっとあるといいのにと思いました。
アメコミビブリオバトルで開催した「アメコミ翻訳トーク」も好評だったので、またトークイベントしたいなぁ…。
以上、11月3日に開催された「アメリカン・コミックス翻訳の舞台裏」の感想レポートでした!